久保田藩領上淀川村等古文書●文化8年(1811) 屋形様御巡覚仰渡 13丁 仙北平鹿雄勝3郡9代藩主佐竹 義和巡見 現在の秋田県大仙市等

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殿様の巡見ににおいて村々への指示が書かれています。
また後半に7月29日~9月10日の帰城までの宿泊地等が書かれています。

佐竹 義和(さたけ よしまさ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名出羽国久保田藩の第9代藩主佐竹氏第27代当主。通称は次郎。官位従四位下侍従右京大夫。号は泰峨、知足斎、突故斎、日新斎、荷風亭など。
寛政元年(1790年)3月、藩校(のちの「明徳館)を設立する。同年4月23日、初めてお国入りする許可を得る。寛政2年(1791年)、栗田定之丞を砂留役に任じ風の松原など防砂林の造成・保全に当たらせた。寛政4年(1792年)、産物方を設置し河辺郡で養蚕指導をしていた石川滝右衛門を支配人に任じ、商品作物や春慶塗、川連漆器、白岩焼などの工芸品の生産を奨励させた。寛政5年(1793年)、辛労免高を開始し、蔵入地、家臣知行地によらず耕作を援助した。寛政7年(1795年)、蔵入地、家臣知行地の農政を統括させる藩内の各郡に郡奉行を設置した。文化2年(1805年)、賀藤景林を御財用吟味役木山方勤務兼帯とし林政改革当たらせ、また栗田定之丞による防砂林保全活動を継続させた。
文化4年(1807年)、露米会社武装集団によって択捉島が襲撃される、シャナ事件(文化露寇)が勃発したため幕府より蝦夷地警備が命ぜられ、陣場奉行の金易右衛門ら約600人を派遣する。文化11年(1814年)、石川滝右衛門の献言により絹方役所を設置し、滝右衛門をその支配人としたが技術不足から売り上げが伸び悩み3千両の赤字を出し失敗した。また、菅江真澄に出羽国の地誌を作って欲しいと依頼した。文化12年(1815年)7月8日、久保田城において死去。享年41。出典:ウィキペディア
多くの方にご覧になって戴き貴重な資料がご研究のお役に立てればそして、故郷に帰る事ができれば大変嬉しいです。
サイズは17×24.8×0.5㎝です。
写真にあるスケールは全長17㎝です。
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